「市民ケーン」
![市民ケーン [DVD] FRT-006](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51z8J0lJofL._SL160_.jpg)
1941/アメリカ/監督・脚本:オーソン・ウェルズ/出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ルース・ウォリック、ドロシー・カミンゴア、アグネス・ムーアヘッド
AFI(アメリカ映画協会)が選出した“アメリカ映画ベスト100”で不動の1位に輝く作品。
この映画が毎年1位に輝くのは、この映画の撮影や脚本などの手法が当時革命的だったこと、現在使われてる多くの表現法がこの映画で初めて使われたこと、加えて監督・脚本・主演をはたしたオーソン・ウェルズがたった25歳で初めて作った、無名の新人ばかりを使った映画で、この完成度だったということ。というのが映画に関わる人にとって、リスペクトの対象なんだろーなーと思うのですが。
正直、そういうことについては当時を知る人、もしくは映画に関わる人でなくてはその凄さは実感しにくいと思います。私にはよく分かりません。
なので、そういうのを差し引いたとして。
それでも、私はこの映画が好きです。勿論、毎年1位に輝くほどの凄さというのは感じられませんでしたけど。当時の映画を思えば、革命的だったというのは分かりますけどね。
すごく印象的なシーンが多いし、脚本の緻密さがまた、たまりません。
まず最初に主人公が亡くなり、彼の人生がそのニュースと共にシネマで上映される。そこで、私達はケーン氏の人生のうわっつらを民衆と共に見せられるのです。
たまたま母親が手に入れた大金を相続して、好き勝手、派手に生きた新聞王ケーン氏。最後は孤独に死んだ彼の最後の言葉が、「薔薇のつぼみ」。この言葉の意味が分かれば、彼の人生をもっと深く知れるだろうと、ある記者が彼と親しかった人を訪ね歩く。ケーン氏の友人や恋人に、それぞれの観点でケーン氏のことを聞くたび、ケーン氏の孤独な人生が浮き彫りになっていくのです。
そんな彼が残した最後の言葉。それは、最後の最後に視聴者のみが分かるようになっています。
その意味が分かったとき、誰にも分かってもらえなかった彼の人生のパズルの欠片への想いに、泣きたくなります。
また最初と最後のシーンに出てくる鉄の柵と「立ち入り禁止」。あれがすんごいズドーンと効く。
ケーン氏の孤独を思うと、泣きたくなります。(ネタバレ反転↓)
彼は民衆に愛されたくて新聞を作り、市長へ立候補する。恋人に愛されたくて無理矢理デビューさせ、劇場を作る。
お城の中にスーザンを閉じ込め、息の詰まった彼女が彼からの自由を求めて出て行こうとするとき、「あなたは愛することをせず、愛されることのみを望む」のだとスーザンに責められる。
戸惑うケーン氏。彼は、愛し方が分からないんです。だって、彼は愛されずに育ったんですもの。
幼いあの日、チャールズ・ケーン氏のためを思って手離した母親の愛。それは、彼が民衆のため、スーザンのためと思って行ったものと同じではないのでしょうか?
ひどい父親を伴侶に選んでしまった自分を悔やみ、子供にはそんな思いをさせたくないと、お金と共に子供を銀行に預けた母親。ケーン氏には、その愛し方しか分からないのです。
愛されたいというケーン氏の願い。
愛し方を知らないという、苦しさ。
スーザンが出て行った後、城の中を荒らしまわって、呟いた「薔薇のつぼみ」。そして、最期のときに呟いた「薔薇のつぼみ」。
それは、あのとき母親から離れなければ、違っていたかもしれないもう一つの人生を思っての言葉だったのかもしれません。
っていうか、凄いと思うのは、あのそり、別にあの模様を強調して見せてたわけじゃないでしょう(見せてたらそのときにバレるか。笑)?サラリと流して、その後、最後火にくべられるときまで、全く出てこない。視聴者は、忘れた頃にあれを見せられて、「ああ・・・」と思うんですよね。彼が人生で本当に望んでいたものが何だったのかを、考えさせられる瞬間なのです。
また、記者の言葉が印象深い。結局「薔薇のつぼみ」がどういう意味だったのか分からなかったけれども、取材を続けるうちに、彼も感じていたのでしょう。ケーン氏の表面的な部分しか見えてない民衆、そして話を聞いた人たちの、それぞれの人生、それぞれの観点。
それぞれの事柄は、彼の人生のパズルの一つにすぎない。彼の人生には、人には見えなかった色んな部分が、まだまだあるはずなんです。
“市民”ケーン、一市民のケーン。これは彼の人生を語っているようで、それぞれの人の中にあるたくさんのパズルを象徴した作品なのかな、と思います。個人的には、かなり好きな作品です。先を示唆してたり、その場面場面に意味を持たせてあるのが分かる。映画の表現法にしてもさ、機械の最先端とかのテクニックではなくて、映像表現としてのテクニック・・・ちょっと言葉を知らなくて上手く表現できませんが、そういう意味での凄さは、今の映画にも匹敵します。時代を思えば、それって相当すごいことですよね。皆がそれから真似してきたってことですから。映画が芸術になった原点なのかな。
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