「ぜんぶ、フィデルのせい」
![ぜんぶ、フィデルのせい [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51DdoZi304L._SL160_.jpg)
2006/フランス/監督・脚本:ジュリー・ガブラス/原作:ドミティッラ・カラマイ/出演:ニナ・ケルベル、ジュリー・ドパルデュー、ステファノ・アコルシ、バンジャマン・フイエ
父親の姉の夫が死んだことがきっかけで、共産主義者になってしまった家族。
突然貧しくなって家を引っ越して、大勢の人が出入りするようになり、カトリック学校で宗教の授業を受けることを禁止され、パパとママは忙しくなって、子供たちはほったらかし。
9歳のアンナは何故、突然暮らしが変わってしまったのか、今まで良しとされてたことがダメになったのか、分からない。宗教の授業、得意だったのに・・・。
長年勤めてきた家政婦の女性は、共産主義者を嫌うゆえに解雇される。彼女は辞める前にアンナに教えるのです。
「全部、フィデルが悪いんだ」
個人的に、すごい良かった。
政治主義や宗教は、本人が納得していないと意味がない。9歳の子供だからといって、何も分からないわけじゃない。
アンナの、子供ゆえの純粋な疑問、真っ直ぐ見極めようとする目がすごく印象的でした。なんで、あれもダメなの?なんで?正しいなんて、どうして分かるの?
アンナを見てて、ちょっと違うけど、母方の祖父が某健康食品にハマってて、その集会のようなものに連れて行かれたことを思い出しました。あの居心地の悪さったら!何故、自分がそこにいるのか分からない。自分が熱を持っていないのに、何かヘンな感じ。
アンナが共産主義者の集まりを“ヘンな人たち”という感情がすごく分かりました。
アンナの小さな弟は、すぐに新しい生活に溶け込んでしまいます。でも、それは彼が幼かったせいではない。彼がその新しい生活を受け入れた理由が、ちゃんとあるからです。
いや、マジ大人たちは子供がちゃんと自分の意思を持っていることを自覚しないといけません。自分の分身のように思いがちですが、ちゃんと理解してもらう努力をしないとダメですよ。
アンナは自分の目で、色んなものを見ます。
この映画は、共産主義だからダメだというものではありません。(反転↓)
思想のために時に武力に出てしまう共産主義、でも、思想自体が悪いわけじゃなく、自分達の正しさを守るために盲目になってしまうとこ。
また、共産主義者を敵視するカトリックの世界にも、勿論闇はある。それも、宗教の思想自体が悪いわけではなく、思想を守るために、柔軟さを忘れてしまっているとこ。
両方をしっかりと見定め、アンナの心情は少しずつ変わっていきます。
エピソードとして、“中絶”ということが出てきます。母親が中絶した女性たちの告白をまとめた本を出し、支援していこうとするものですが、中絶というのは、カトリックでは認められていないので、中絶した女性は社会から白い目で見られます。
母親は、アンナに言います。
「中絶っていうのは、産みたくないか、産める環境にないか、そういう理由で自分で決めることなのよ。」
私だって、中絶は悪寒が走るくらい嫌い。
でも、それは世の女性皆そうでしょう。そして、世間からどういう目に遭わされるか知っていて、敢えてそれをやるというのだから、余程の理由があるのです。
自分の意思で決めた中絶という選択。それを尊重したいとは、思います。
辛い選択をした人間を、さらにどん底に落とすことはしたくない。
危険な場所に行くのも、敢えて貧しい生活になるのも、何もかも自分で決めるべきもの。
自分の生き方は、自分で決めるべきなんだ。たとえ小さな子供であっても。
この映画の最も大事な核は、そこだったのだと思います。
何だかすごく・・すごく、人間として、根底の部分で大切なものを思い出したような映画でした。